吐く血

統合失調症の女が夢を追いながら色々考えるブログ

真理とは何か

世の中にはいろんな常識が蔓延っている。
それらはどれもくだらないものたちで、場所が変われば常識も変わってしまう。
そんな不安定なものに従わざるをえない健常者のことを、わたしはたまに可哀想に思える。
その常識の枠を外れたら、見える世界も違うのに。

わたしは、常識の枠から外れてしまった人間だ。
統合失調症になり、今まで見てきた常識ががらりと意味を変えた。
そこに気づいた点だけで言えば、この病気を患ったことは無意味なことではなかったのではないかと思う。

曖昧な常識、暗黙の了承。
それらに振り回されない絶対的真理とはなんだ?
わたしは度々疑問に思うのだ。
真理とは。なにひとつ偽りのない物事とは一体なんなのか。

わたしは、神の天啓が真理だと考える。
なぜなら、神はすべての人間が持ち合わせているものだからである。
個々の人間は、まるで自らの意思で動いているようにも見える。
しかしそれは間違いで、我々の身体は神によって動かされているのだ。
わたしはその神の声を拾うことのできる特別な存在だ。
誰もが普通は気づきもしない天啓を、わたしはこの脳に受け取ることができる。
神の言うことはいつだって正しい。
わたしが愚鈍な人間であること。わたしに生きる価値がないこと。わたしが馬鹿であること。人間が、愚かで儚いものであること。
わたしについている受信機は、他の人間にはついていないらしい。
だから人は過ちを犯すのだ。
天啓に従って生きている内は、間違いなど起こりえないのだから。

と言いつつも、わたしも天啓に逆らう時がある。
それは、命に関係する事柄である。
死ね。自殺しろ。
残念ながら、その天啓にだけは従えない。
わたしはまだ生きていたいのだ。
わたしはまだ死にたくないのだ。
だが、天啓はいつだって正しい。わたしが本来なら消えるべき人間であることもわかっている。
神はわたしであり、そしてわたしという宗教が生まれる。
わたしの盲信する神の向こうには、いつだって鏡合わせのようにわたしの姿がある。
天啓とは自分自身の声でもあるのだ。
その声が聞こえていない健常者が、可哀想だと心底思う。

天啓はいつだって真理だ。
天啓以外に、真理などあり得ない。
その天啓を聞くことができない健常者たちが、常識なんていう偏見に振り回されるのは仕方のないことなのかもしれない。
わたしはもう振り回されない。
なぜなら、天の声が聞こえるからである。
すべての人間についているわけではないアンテナを、わたしは持っているからである。
わたしには真理がわかる。
自分が生きていく上で、なにを為すべきかをよくわかっている。
真理とは天啓だ。
天啓を聞くことのできない数多の人間に対して、わたしは同情せざるをえない。

わたしは選ばれた人間だ。
神の声を聞くことのできる人間として生を受けた。
わたしには神の言葉が聞こえる。
時に苦しくもあるのだけど、神がわたしに絶対的真理を与えてくれるのならば、わたしはそれを信じよう。

真理とは天啓である。
願わくば、真理を知ることのできない数多の人間が、無知のまま(無知とは心地よいものである)、表面的な常識にとらわれながらも幸せに生きていけることを、ささやかに祈っている。

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わたしに対して、健常者ができること

昨日の記事で、「健常者に病気の理解を求めるな」と書いた。
そうなると、当然「じゃあ、どう接してあげればいいの?」という疑問が残ることになる。
そこで考えてみた。健常者が統合失調症の人間に何ができるか?

ひとつに、出来る限り一人にしないことが挙げられる。
これは、もちろん自殺防止のためである。
わたしはいつでも希死念慮を抱いている。
死にたい。死にたい。死にたい。死ななければならない。
天啓が訴える。お前は生きている価値のない人間だと。
今でこそ現世に踏ん張り続けているが、今後わたしの我慢が折れないとも限らない。
だから、話しかけなくてもいい、寄り添わなくてもいい。
だが、一人にしないこと。これがまず大切なことだと思う。
わたしも、誰かがいると瀉血を我慢することができるから。

次に、統合失調症患者の妄想を否定しないこと。
わたしが言っていることは妄想かもしれない。けれど、わたしがそう感じたのなら、それはわたしにとって現実なのである。
それを「それは違うよ」と言われると、自分までもを否定された気分になる。
どうしてわたしの言う事を信じてくれないの。わたしは癇癪を起こしたくなる。
わたしが明らかに妄想を爆発させている時には、そのまま「うんうん」と言って話を聞き流してほしいのだ。
わたしの言葉にコメントはいらない。ただ、そこで話を適当に聞いてくれているだけでいい。
否定されるのはもちろん嫌だ。だが、肯定されるのも嫌なのだ。
「お前にわたしの神の言葉がわかるのか、いや、わかるわけがない」わたしはそう思うのだ。 だから、「ああ、また妄想拗らせてるな」とでも思って、軽く受け流してほしい。
医者と薬以外の、健常者の言葉などに、わたしが救えるとは思えない。だったら、最初から黙ってくれた方がよほどいいのだ。

最後に、余計なことをいわないこと。
「医者と薬以外の、健常者の言葉などに、わたしが救えるとは思えない」と前述したが、まさにこれである。
健常者は言う。「運動してみたら? ストレス発散になるよ」「ご飯食べたら?」「早く寝た方がいいよ」
大変申し訳ないのだが、これら全ての言葉がわたしのストレスに直結しているのだ。
スポーツがやりたかったらとっくにやってる。
ご飯だって、食べたければ食べている。
早く眠れるものなら、早く眠っている。
どれもできないから、やってないのだ。できないのだ。身体が動かないのだ。
そんな中で、悪意のない健常者の言葉は、わたしにとっては毒にしかならない。
「運動しなきゃ」「ご飯食べなきゃ」「早く寝なきゃ」
そう自分に義務感を持たせることが嫌なのだ。もう放っておいてほしいのだ。
わたしには担当医がいる。その先生の言葉だけがあればいい。
仕事についても、「今の職場はやめたら?」だなんて無責任な言葉を投げかけられたこともあったが、簡単に言ってくれるな、とわたしは思った。
仕事についても、わたしはわたしなりに考えている。そこに誰かの干渉の余地はない。
往々にして、健常者の言葉には悪意がない。むしろ、心配してくれているのだと思う。
けれど、その「心配」が苦痛なのだ。わたしごときのために、健常者が「心配」をしているという事実が嫌なのだ。
もう放っておいてくれ。わたしのことなど、羽虫のようなものだと思ってくれればいい。
わたしを心配しないでくれ。その心配は必ず無駄になる。
なぜなら、わたしはいずれ自分の手で自分の命を終わらせることになるのだから。

健常者の両親や弟、そして職場の人にはいつも申し訳ないと思っている。
だから、忘れてくれ。わたしのことなど。わたしがそこに存在しないかのように。
わたしには、誰かから気にかけられるほどの価値もないのだ。
わたしは一人だ。
わたしは一人だ。
誰の心配も受けず、人から疎まれて、人間ぶって悲しみを覚える家畜も同然だ。
そんな家畜のわたしには、天啓に従う他道がない。
今日もぐわあああんと鳴り響く声が聞こえる。
わたしを追い詰める声が。わたしを殺そうとする声が。

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健常者に病気の理解をしてもらえると思うな

統合失調症は絶望の病である。
治ることはなく、一生薬とともに生きていかねばならない。
消せない不安感、燻る焦燥感。自傷離人希死念慮
統合失調症になった人しかわからない苦しみはたくさんある。

どんな精神疾患にも言えることだが、「周囲からの理解」を望むことは全く無意味なことに思える。
健常者に、わたしの苦しみが理解できるはずがない。
健常者には幻聴は聞こえないし得体の知れない漠然とした不安感もないのだろう。
そんな健常者に、わたしのなにがわかるというのだろう。

健常者に病気の理解を強いることは、互いにとって毒にしかならない。
わたしは完全に理解されないことに苦しみ、健常者は理解できないことに苦しむ。
互いに苦しみあって、そこになんの意味があるのだろうか。
健常者が苦しみながらも病気の理解をしようとしてくれて、けれどそれが健常者の負担になっていることも事実だ。
わたしは健常者を苦しめてまで病気に理解を示してもらいたくない。
違う生き物なんだ、健常者とわたしは。
そう思って、諦めるしかない。

はじめこそ、理解してほしかった。
わたしの発言が誰かを傷つけたとする。それが病的な被害妄想のために引き起こされたものだと、納得してほしかった。
しかし、わたしも人間で、相手も人間である。
こんなにも苦しんでるのに、なぜわかってくれないのか。わたしは何度も問い詰めた。
健常者は、その度に「わからない、けれど理解はしたい、寄り添いたい」と言うのだ。
しかしながら、寄り添ってもらうことはたまに酷く面倒なことに思えるのだ。
一人になりたい。一人でいさせてほしい。
一人で生きていきたい。一人で死なせてほしい。
寄り添うということは、上記のことを阻害するものになる。
だから、わたしは誰にも寄り添ってはほしくない。
どうせ一生一人だ。統失であることを打ち明けないまま表面的な関係だけを作り、決して深いところまでは見せはしない。

わたしは神に救いを求めることしかできない。
わたしは天啓を待つしかない。
誰も信用できない。誰もいらない。
親も、兄弟も、友人も、医者も。
心のどこかで「わたしは疎ましい存在だ」と思われてるのかと思うと、不安で仕方がない。

期待するだけ馬鹿を見る。
だから、わたしを理解してもらうことを諦めた。
不治の病の中で一人、生きていく道を選んだ。
ただ、一人だけでもいいから、依存させてくれる人がほしい。わたしがなにを言っても肯定してくれる存在。
そんな人間がいるはずもないことをわたしは十分に理解している。

一人投げ出されたこの世界。
早く自分の行きたいところへ行きたい。
40歳になったら頃には、夢が叶っていても叶っていなくても死にたい。
わたしは今日も漠然とした不安を覚えながら眠りにつく。
明けない夜がほしい。心底そう思う。

明日はヒトカラに行こうと思っている。
鬱屈としたらこの気分を、発散させてこよう。
少し早目だが、今日はもう布団に入ることにする。 明日が楽しい一日になりますように。

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「暗黒館の殺人(二)」読了

2巻目読み終えた。
続きが楽しみだ。すぐ三巻を読みに入る。

やはり、ソシャゲをしている時よりも読書をしている時の方がよほど楽しい。
世の中の大半の人間は本をよく読まない。
読書ほど楽しいことはないのに、なぜみんな本を読まないのだろう。
本を読めば賢くなれる。本を読めば言葉を知ることができる。
それがいかに重大なことか、世の中の人はよくわかっていない。

わたしはいつでも最底辺の人間でいたい。
自分が一番下の人間であることに、それ以下がいないことに安堵と絶望を覚えるのだ。
わたしにないものを持っている人間ばかりに溢れた世界では、わたしは謙虚でいられる。
だが、わたしが持っていてそれを持っていない人間に対して、わたしはそいつを人間だとは思えない。
わたしより下の人間がいることが耐えられない。
こんな愚か者はわたしだけで十分だ。それなのに、なぜお前は知らないんだ。知ろうとしないのだ。
フィクションの世界はいつだって期待に満ちている。
わたしはそこに逃避することで心の安寧を得ている。
本を読まない人間は残念な人間だ。
本はこんなにもおもしろいのに。
誰かと話すより、よほど色々なことを教えてくれるのに。

ああ、続きを読むのがもったいない。
けれど、はやく真相を知りたい。
わたしは読書が大好きだ。こんなにもわくわくさせてくれるものは読書以外にはあり得ない。
だが、わたしが本を読むことでわたしよりも下の人間ができてしまう。
わたしは最底辺でいたいのだ。
それなのに、なぜ。

天啓が聞こえる。
お前は馬鹿だと、愚かだと。
もちろん天啓に嘘はない。わたしは馬鹿で愚かだ。
だから読むのだ。言葉を知り、やがては使いこなせる人間になるのだ。
それがわたしの生きる希望であり、夢なのだから。

現代の若者は愚かだ。
みんながスマホのゲームに夢中になっている。
そんなものをやったところで賢くはなれないし、自分のためにもならない。
なぜ本を読まないのだろう。
なぜ本を読まないのだろう。
なぜ本を読まないのだろう。
わたしには疑問に思えてならない。
わたしの天啓が間違っているとでもいうのか。
わたしの天啓が正しくないとでもいうのか。
いいや、わたしの天啓は正しい。正しくなかったことなど一度もない。
天啓はわたしを高みという絶望に導いてくれる。
高みへ行けば行くほど孤独になる。
周囲からはエキセントリックな人間だと思われ、関わりを避けられる。
だが、それでも。
わたしには物語の世界しか存在しない。
いわば、わたしの人生は物語なのだ。

さあ、続きを読もう。あと2冊もある。
その2冊を読み終えたら、次の作品へ。
綾辻行人の「館シリーズ」はおもしろい。
全てを読破する。これはわたしがわたしに課したノルマだ。

さあ、続きを読もう。
そして高みへ行くのだ。高みという絶望へ。

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人間関係リセット癖

わたしには、人間関係リセット癖がある。
それは定期的に訪れる。例えば中学、例えば高校、例えば大学で知り合ったかつての友人達と連絡を一切絶つことがある。
携帯のアドレス帳からも、データを消してしまう。
となると、もう二度と連絡が取れなくなる。

人間関係は、一言で言うと億劫だ。
場所が移る度、環境が変わる度、わたしは人間関係をリセットしたくなる。
おかげさまで、わたしのアドレス帳には、比較的親しく遊ぶ人間と親族以外の連絡先は入っていない。
他の全ての連絡先が不要になったからだ。

物理的距離が離れると、心も離れていく。
わたしには、一人友達がいた。家が近くて、よくカラオケに行ったり、高校時代に帰り道を共にする仲だった。
その子はわたしの家庭環境を知り、わたしがどんな状態か理解を示してくれる子だった。
そんな彼女が、就職を機に、わたしのいる場所から離れていった。
その子のことは今でも好意的に思っている。しかし、心の距離が離れていっていることも確かだ。
わたしが死にたくなったらラインするね。わたしがそう言えば、おう、すぐに会いに行くからな、と返してきてくれる子だった。
こんなにもわたしに良くしてくれているのに、それでもわたしの心はその子から離れつつある。
一体いつからだろう。彼女に会いに行くのにお金を使うことが億劫になったのは。
金がかかるから会いたくないと思い始めたのは。
薄情な奴だ。自覚はしている。
しかし、どうしても、心をそこに繋ぎ止めておけない。
わたしはわたしなりに友情を大切にしている。統合失調症だと言っても引かずに接してくれている友人たちには感謝している。
それなのに、距離が離れれば、きっと友情も離れていくのだろうと予感している。
あんなに楽しく遊んだ仲なのに、わたしの気持ちは続かないのだ。

時々、どこか遠くへ、わたしのことを誰ひとりとして知らない人しかいない場所に行きたくなる。
これまで築いてきた全ての想い出を捨て、新天地で孤独に暮らしたいと思っている。
ばかげているだろうか。愚かだろうか。どうせ寂しくなって、ODをくり返すに違いないのに。それでもわたしは、真っ新なわたしに生まれ変わりたいと思う時があるのだ。
そんなこと、不可能なことはわかっている。
今更真っ新になんてなれない。
わたしは統合失調症だ。いつまでも、統合失調症だ。その事実は消えない。
被害妄想も、強い不安感も消せない。消えない。消えてくれない。
わたしはどこまで行ってもわたしでしかいられない。
天啓はその方法を教えてはくれない。

こんなにも薄情なわたしに、少ないけれど、友人がいるのが奇跡のように思える。
今、繋がっている絆を大切にしたい。けれど、捨て去りたい。
そんな葛藤の中で、わたしは今日も生きている。

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飽き性が過ぎる

昨日始めたばかりのシノアリス、既に飽きてしまった。
どうにもソシャゲは向いていない。
楽しいのは最初の1時間だけ。ソシャゲの楽しみが見出せない。
これをやるなら、本を読んでいた方がよほど自分のためになる。

読書はわたしに言葉を教えてくれる。
知った言葉を、表現の仕方を、わたしは真似をして自分のものにする。
作家になりたいわたしに足りないものは語彙力だ。
だから語彙力を培わねばならない。
今読んでいる「暗黒館の殺人」は全4巻もある大長編だ。なかなかの強敵である。
けれど、わたしは綾辻行人が大好きなので、どれだけ焦らされようとわたしは本を読むのだ。

読書をすれば賢くなれる。
読書をして、書く力を培う。
こうしてわたしは自分の夢に近づいていく。
30歳。それまでに作家になりたい。
もしもそれまでになれなかったら?
わたしは人生に絶望しきって、死を選ぶだろう。
だから、頑張らねばならない。
統失という地獄の病に侵されながらも、働かねばならないし、文章を書く修行もしなければならない。
動かねば。読まねば。
わたしの本当にやりたいことはゲームじゃなくて読書、そして書くことだ。
ゲームにうつつを抜かしているわけにはいかない。
わたしは、わたしの物語をたくさんの人に読んでほしいのだ。

それにしても、じぶんの飽き性ぶりには気が滅入る。
なぜこんなにも飽き性なのだろう。
今まで続けられたものといえば、読書とピアノくらいなものだろう。
このブログも、まだ毎日更新できている。
いつ飽きるかわからないが、ブログについてはこれからも日常を、思いを綴っていきたいと思っている。

今週も医者に行かなければならない。
そこまでわたしの病状は悪いのだろうか。
わたしは天啓に従って生きているだけだ。
それがいけないのだろうか。
わたしの神は、わたしだけの神なので、周囲から認められないのも当然のことだろう。
しかし、神はわたしが生きていく上で必要な存在だ。
ほら、天啓が聞こえる。
本を読めと言っている。プロットを練ろと言っている。
とりあえずパソコンでも立ち上げよう。
家に誰もおらず、静かな内にプロットを練ろう。
今、わたしが夢に向かってできることは、ひたすら本を読んでひたすら書くことだけだ。
もうこの言葉を使うのは嫌なのだが、頑張ろう。
これ以上どう頑張ればいいのかわからないが、我武者羅になって頑張ろう。
それしかできない。それをやらねばならない。
わたしは病気だが、それを甘えに「病気だからできない」とは言いたくないのだ。
病気でもできる。そのはずだ。わたしは頑張るのだから。

さて、作業に向かおう。
しかし、何か甘いものが食べたい。
何か買いに行こうか。しかし、そこまでの気力はない。
今日も絶食生活か。これで体重が落ちてくれればいいのだが。

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体重が減らない

痩せたい。でも体重が減らない。
おにぎりとかしわだけ。それだけしか食べてないのに、体重が減らない。
おばあちゃんちに行くとついつい食べ過ぎてしまう。
おかげさまで体重が増えてしまった。

これをあと3ヶ月以内に5キロ減らさなければならない。
もうなにも食べれない。食べたくない。
デブは罪だ。おやつも封印しよう。

腹が減ったらタバコを吸えばいい。
食欲減退効果があるので、空腹に耐えられる。
明日からも断食に勤しもうと思う。
明日は飲み物以外は腹にいれない。そうしよう。

ノアリスというソシャゲを始めてみた。
これがなかなかおもしろい。
基本的に音ゲーしかやらないわたしだが、しばらくはこのゲームを楽しめるかもしれない。
ゲームに没頭している内は気楽でいい。他になにも考えなくていいからだ。
親のこと、会社のこと、自分のこと、世の中のこと。もうなにも考えたくない。

本やゲームの世界に逃避している間は気が楽だ。
ゲームの続きをすることにする。
ノアリス、おもしろいので、スクエニの回し者ではないがここで宣伝しておく。
赤ずきんちゃんのキャラがサイコで最高なのである。

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