吐く血

統合失調症の女が夢を追いながら色々考えるブログ

薬は蜘蛛の糸となりうるか

先程の記事で、わたしは正しくない世界にいるんだと書いた。
「正しくない世界」は、どこまでもがらんどうだ。食事という概念もなければ、睡眠という概念もない。
ただ自分がそこに存在するだけの世界。もちろん、他に人はいない。
究極の自閉だと言ってもいいと思う。親や友人すらいない世界。一人きりの世界。

一方、「正しい世界」には、衣食住の概念が存在するし、親や友人だっている。
健常者たちは、この「正しい世界」に当たり前のように住んでいる。

わたしはいつでも、世界に取り残されている感覚を覚えていた。
他人がおもしろいと言ったことが、おもしろいとは到底思えなかった。
感性の違いだと言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし、わたしのこの「一人取り残されている感覚」は、間違っているものだと気がついた。
取り残されていたのではない。最初から、わたしがどこにもいなかっただけだったのだ。
そのことに気がついたわたしは、世間との関わりを諦めた。誰にもわたしのことを理解できないし、誰も助けてはくれないんだと悟った。
イデアに直接手が触れられないのと同じように、「正しくない世界」にも、健常者には手が届かないのだ。
わたしだけがいられる場所。そこが「正しくない世界」だ。

わたしが感じている不安感は、「正しい世界」との乖離から起こっているものだとわたしは考える。
自分は世界のどこにも存在しないのではないかという不安感。非常に漠然としたものだ。
わたしはいつでも、この「漠然とした不安感」に悩まされている。
このまま生きていくのは苦しい。「正しい世界」から追い出されて、「正しくない世界」にいるわたしがそこから脱却するには、自殺以外の道がない。

そうなるといけないので、処方されるのが薬である。
わたしは大量の投薬を受けている。強い不安を抑えるために、抗不安薬を三種類も出されている。
薬を飲んでいる時は、一瞬わたしは「正しい世界」の姿を垣間見ることができる。 天井からぶら下がる蜘蛛の糸を掴むことができる。 しかし、その糸は非常にもろいものであって、上りきる前に必ず切れてしまう。すると、わたしは「正しくない世界」へまた落とされることとなる。 この蜘蛛の糸を無事上り切れた時、わたしは社会復帰できるのだろうと思う。

薬でわたしは救われるのか?
今まで、いくつもの薬をもらってきた。抗不安薬など、三種類も処方されているほどだ。
デパスワイパックスリボトリール。どれもわたしを救うには弱い薬だ。

自分が「正しい世界」の中に最初からいなかったんだと気づいた時に、感じた絶望感は計り知れなかった。
わたしは健常者じゃないんだ。統合失調症という病気になって、なぜ会社を休職させられたのかもわからずに、ただ漠然とそこに存在していた。
わたしは「正しい世界」に戻りたいとも思わない。ここには何もないけれど、酷く居心地がいいのだ。
ただ、一人きりになれたら。でも、孤独は寂しい。

薬は蜘蛛の糸である。
わたしに行く先を照らしてくれる、唯一の光である。
だが、薬を大量に飲んでまで、「正しい世界」に戻ろうという気は、今のわたしにはないのである。

死ぬことは簡単だ。今持っている薬を全て飲めば、間違いなく死ねるだろう。
そういう意味では、薬とは蜘蛛の糸ではなく、鋭利な刃物のようにも思える。
生きることは苦痛だ。息をしているだけで他人に迷惑をかける。そんな自分が嫌で、消えたくなる夜がある。

全ての薬は劇薬だ。わたしを治すために飲んでいる薬が、逆にわたしを追い詰める。

消えたい。死にたい。いなくなくなりたい。
そう思いながらも、どこかで生きていたいと思っているわたしの救いに、薬はなりうるのだろうか。
わたしは寛解するのだろうか。そんな疑問を抱えつつ、わたしは今日も薬に頼って、「正しい世界」の片鱗を探しているのである。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村