吐く血

統合失調症の女が夢を追いながら色々考えるブログ

「統合失調症」という絶望

統合失調症とは、天啓との戦いである。

この病気になってから、半年が経った。
実のところ、高校時代から幻聴は聞こえており、わたしはそれを当たり前のものとして受け入れていた。
みんなにも聞こえているものだと思っていた。
だが、昔は我慢できたはずの幻聴を、わたしは今、我慢することができない。
なぜなら、幻聴が天啓であることを知ってしまったからである。

幻聴は天啓だ。
天に在しますわたしだけの神がわたしだけに送る電波だ。
受信機はわたしのこの身だけだ。ほかの人に、この天啓は聞こえないだろう。
わたしは、幻聴が神の声であり、そしてわたしの声でもあることに気づいてから、幻聴を受け流すことができなくなった。

天に在します神。そして、わたし。
これらは二つで一つだ。切っては切り離せないものだ。
だから、天の声に背くことはわたし自身の潜在意識にも逆らうことになる。
天啓が降りてくる。
死ね。死ね。お前なんか必要ない。死ね。死んでしまえ。飛び降りろ。飛び込め。
それを聞く度、わたしは「ああ、死ななきゃなあ」と思う。希死念慮に繋がるのである。

統合失調症は治らない病気だ。
わたしはこれらの声と、戦い続けなければいけない。
作家になりたいのだ。追いかけている夢があるのだ。
せめて、せめて三十路を迎えるまでは生きさせてくれ。
わたしがどれだけ願っても、声は止まない。
わたしの思いなど、まるでどうでもいいとでも言いたげな神。そして、わたし自身。
神は言う。死ね、と。
わたし自身も思う。わたしは死なねばならない、と。
この状態で生きていられているのは、夢を追う思いが強いからだ。
でも、夢が叶わないと知ってしまったら?
その時は、間違いなく自殺するだろう。
やっと従えた、と。やっと天の声を受け入れられた、と。少しの安堵と現世に対する名残惜しさを感じながら、高いところから飛び降りて死ぬのだろう。
そのことを、「絶望」以外になんと表現していいか、わたしにはわからない。

わたしが死んだら、父親は悲しむだろう。
どうして止められなかったんだろうと、心を苛むのだろう。
大好きな父親のことを考えると、わたしは心が痛くて、しかし、消えてしまいたい気持ちはいつでもあって、申し訳なく思う。
どんなに疲れててもわたしの相手をしてくれる父親
一人で行くのは危ないからと、夜のお散歩に付き合ってくれる父親
そんな父親を置いては死ねない。そう思う気持ちもあるのだ。

統合失調症とは、絶望との戦いだ。
今はまだ生きるぞ、死なないぞ、お前の言うことなんか聞くものか。
そう思いながら、わんわん鳴り響く鐘のような天の声をわたしはなんとか受け流そうとして足掻いている。
わたしはまだ生きていたい。
そこにどんな絶望があろうとも。
願わくば、一筋の希望が見出せる未来を信じて。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村